2005年12月08日

ミネルバ逃げ水2-4「魔王、迷走す」

いつ完結するのか…?
週のはじめにアップはムリでした。見通しあまくてすんません。
サブタイトルは、しっくりくるのが思いつかなかったのでテキトーです。
全体としてのタイトルは閃いたんですけどね…

尺が余ったんで、アスメイ入れてみた。
まずは自分なりのアスラン像を立てるとこからスタート。(めんどう)
勝手にやってますよ、勝手に。
で、サブイベントの回収などやってたら、長くなってしまい…書くのも一苦労したというオチで。

とりあえず16禁仕様です。
無断転載複写等は厳禁です。





 レイが、こっちを見ている。
 それも、おとといまでの話。
 射撃訓練をサボったシンは、人けのないベンダースペースの天井をぼんやり見上げていた。壁際の長イスに、全身を沈み込ませるように両手足を投げ出した、だらしのない格好で。
 眠いのだ。
 ヨウランのベッドに転がり込むといった行動に出られるわけもなく、昨夜もまた冷えたシーツの海を一人で温めるしかなかった。シンが無断使用しているのは個室で、寝返りをうっても、暗闇の向こうに壁が見えるだけ。隣りにベッドもなく、誰もいないというのは、思ったより孤独を感じるものだ。冷たいつま先で、体温を分けてくれる素足を探すが、行き当たらない。シーツはなかなか温もらない。いつまで経っても一人であることに慣れない、眠れない。
 この世に現存する薬のなかで、もっともシンに利く精神安定剤はレイなのに、それを切らしては、満足に睡眠を摂ることもままならないのだった。
 レイがいなくても、一人でやって行けるなどと、アカデミーを卒業してすぐの頃だったか、よくも思ったものだ。レイがいなければ、どうにもならないではないか。シンは重々しくため息を吐いた。
「いっけないんだー」
 弟のいたずらを見つけたように声を弾ませて、ミニスカートから華々しく伸びた細い足が現れた。シンの目の高さに映ったのがそれというだけで、ベンダースペースに現れたのはルナマリアだったが。
「訓練サボっていいのかしら。エースの驕りよね」
「おまえこそ。まだ途中だろ。しっかり訓練して命中精度あげるのが急務のくせに。ルナはいつか実戦でとんでもないミスをやらかすに違いないんだ」
 オレたちがフォローしきれないような、と、シンは西の魔女のごとく不吉な予言をする。
「悪かったわね、センスなくって。鬼教官」
 シンは、背もたれから身を離して座り直すと、あくびをした。目じりに浮いた滴を指で払う仕草が、毛繕いをする犬めいていた。ルナマリアなどは昨日、レイが連れてきた子犬を見たせいで、特にそういう印象を受けたことだろう。
「寝てないの?」
「うん…あんまり」
「薬は?」
「飲んでるけど、ムリ」
 苛立ちを含んだ浮かないシンの顔を見下ろして、ルナマリアは困ったように腰へ手を当てた。シンの顔色が、不機嫌な人相とどっちが悪いか競うように真っ白だ。
「下半身が、重い…」
「あたしが、今ここで脱いだら立つのかしらね?」
 また、下品なことを、ルナマリアはあっけらかんと言い放った。それ、とシンの股座を指さしている。
「やめてくれよ。女が相手じゃ使い物にならないって決定的な裁定をくだすようなことは」
 シンは、両膝を抱え、落ち込んだように顔をうずめてしまった。冗談が冗談にならなかったことに気付いたルナマリアが、しらじらしい笑いで場をごまかしながら、シンの隣りに腰を下ろした。
「限界よね。その眉間のしわ、なんとかなんないのかしら」
 眉間の凹凸を引き伸ばすように人さし指でぐりぐりやられ、シンはなんとも情けない表情になった。
「意地を張ってないで、もう部屋に戻んなさい。それがあんたのためであり、みんなのためでもあるのよ」
「いやだ」
「一度くらい、あんたから折れたってバチは当たらないのよ」
「今日、謝りにくるかも知れない」
「こないんじゃないの」
「…明日、くるかも」
「こないわ」
 キッパリと言い放ち、シンから離れたルナマリアは、背もたれに身を預けると、腕と足を組んで嘆息した。シンが、不安げな色の瞳で見ている。
「なんでそんなことわかるんだよぉ。だって…」
「今までどんな時でもレイが折れなかったことは、ない?」
 まさに言おうとしたことを、ルナマリアに先回りされ、シンは口ごもった。
「いつまでも同じパターンが通用するほど現実は甘くはないわ。相手は人工知能なんかじゃなく、生きた人間なのよ」
「…わかってるよ、そんくらい」
「人の気持ちは変わるわ」
「え…?」
 シンの双眸がありありと、不安の色を濃くした。
「レイにだって限界はある。許せないことも、ある。レイは全知全能の神じゃない。取り返しがつかなくなる前に、修復しに帰ったほうが賢明だわ」
 人の気持ちは変わる…?
 シンはルナマリアの言葉を反復した。
 心は無形であり有形である。目には見えず、手には触れずとも、確かにそこに存在はしているもの。無限に形を変化させながら魂に寄りそう。
 レイの心が形を変えたのか。知らない間に。勝手に。
 石をいくつも詰め込んだように胸が重々しく重量を増し、耳から入った言葉が青い火に変わって、じりじりと身を焼き始めた。
「そ…そんな、まさか……」
 目を反らすように俯いたシンがかすれた声でつぶやくのを見ながら、ルナマリアは、やりすぎたかしらと、内心でふっかけた脅し文句の採点をしていた。
 昨日、シンのことなど心中の片隅にも置いていない、とでも言うようなレイの言動を見たルナマリアとしては、シンの危機感を煽らないわけには行かなかったのである。
 とんでもない伏兵が現れたのだ。
 伏兵の存在に気付く前に、煽るだけ煽って、シンの足をレイに向けさせるしかない。
 レイは小石を投じたくらいでは、心を波立たせることがない。感情のコントロールを完全にやってのけるからだ。器の小さな人間は、彼を冷徹人間だとか、血の通わない人形だと陰でそしるが、大局的に物事を捉え、俯瞰の立場から広くを見渡せる。ルナマリアにとって、人間としても軍人としても尊敬に値する人物だ。
 不動と思われた彼の心を大きく動かすものがあるとしたら、まずは何を置いてもギルバート・デュランダル。それはディオキアで嫌というほど見た。そして、犬もその限りであるようだ。とはいえ、あれはシンに固執しての振る舞いのようなものだから、シンは、レイの心を動かすというより、狂わせるのかも知れなかった。
「訓練サボったの、レイと同じ空間にいるのが辛くなったからでしょ」
「う……」
 シンは本来、訓練を軽々しくサボったりする質ではない。一介の軍人として、定められた軍務はきちんとこなすものだという考えはある。
 が、ブースに隣り合って入っても、レイが気になって弾を的に当てることなどできなかっただろう。集中を欠き、的を外しまくって最低スコアを叩き出すのを、アスラン・ザラに見られるのもシャクである。レイにだって、そんな無様な姿を見せたくはない。
「レイがさ、なんかいつもと様子が違うの、気付いてんでしょう?」
 シンが顔を上げた。
 気のせいじゃなかったんだ、やっぱり。
 はっきりと態度が変わったのは昨日だった。それまで、レイはシンに無視されながらも、ずっとシンに視線を向けていた。時に少し、悲しげに、時に何か言いたげに、曇らない美しい天色の瞳を曇らせてシンを見つめていた。
 シンはそれに安心していた。
 しかし、背中にその眼差しを感じなくなったのだ。レイは、ちらともシンを見なくなった。シンの存在などあってないもののように、アスラン・ザラと言葉を交わすのを見て、たまらなくなったシンは、先ほどついにレイにすがるような視線を投げ掛けた。まっすぐ見たのは久しぶりだった。見たくても意地が邪魔をして見られなかったのだ。レイは、今日も美しかった。手入れの込んだ流れるような金髪。均整のとれた体躯。身長はシンと同じなのに、ベルトを締める腰の位置が高い。並んで立つと、シンとしてはちょっとムッとくる相違点だった。金糸のかかる細い顎。彫り物ののように形の良い歯を覆い隠す薄い唇は、うっすらと濡れたように色鮮やかであり、艶やかだ。長い金色のまつげに縁取られた、濁りのない瞳は、シンの視線を受けても取り合わなかった。
 レイ………。
 そっと心のなかで、背中に呼びかけてみても、レイは振り返らない。返事も返ってこない。
 立場が逆転した。優位に立ってレイを焦らしていたのはこっちだったはずなのに。
 シンの寂しさは性質を変え始めていた。
 レイが怒るなんてこと、ありえるの?
 オレのこと、とうとう愛想つかしたの?
「あんたも少しはレイの気持ちを察してあげたらどう? レイに期待するばっかりじゃなく、たまにはあんたからレイに返してあげるの」
 ルナマリアの優しい手が、意気消沈して小さくなったシンの背を勇気づけるように叩いた。
 責める気持ちが勝る状態では、レイもこんな寂しさを味わったのかも知れないと、相手を慮るまでの思慮や心の余裕は、シンに持てるものではなかった。
 ただ、レイの興味が自分から逸れることが怖かった。


 ミネルバには多くの乗組員の胃袋を満たす大食堂の他に、何ヶ所かごく小規模の食事を摂れる場所がある。カフェとは名ばかりの、最低限の設備とメニューしか持たないが、人目を避けたい赤服などは比較的よく利用する傾向にあるようだ。
「シンの奴、今日は射撃訓練をまるまるサボって! 何なんだ、あいつは! かつて俺が在籍した隊ではそんなことは許されなかった。むしろ、ブースの奪い合いになるくらいだったぞ」
「シンって気ままなとこがあって、アカデミーの頃からそうみたいですよ。自分の気に入らないことはしないんだって、お姉ちゃんが」
 そこで、アスランとメイリンが隠れるように…ではないが、夕食を摂っていた。他に利用者は見当たらない。
「そうはいっても、ここはアカデミーではなく、紛れもなく軍隊だぞ。遊びじゃない」
「ですよね。シンってホントお子様。そんなのに腹立てることないです、アスランさん」
 テーブルには「ミックスフライ定食」が二膳。メイリンが美味しいからと勧めたのだ。メインはイカリングとエビとホタテのフライだが、このエビフライが只者ではなく、エビの切り身の間にたまごサラダを挟んで揚げてあるという、わざものである。付け合わせにボイルキャベツ。牛そぼろライスには福神漬けが添えられ、汁物はプチトマトのスープ。小鉢はジャガイモのオイル焼きだ。
 フライにかけるソースはこれが良いです、とマヨネーズとケチャップをベースにしたものをメイリンがその場で手際よく作った。男は胃袋で掴めという。アスランの世話を甲斐甲斐しく焼く様子から、メイリンが本気で彼を仕留めにかかっていることが伺える…抜け目がない。
 アスランは端正で優しげな面立ちと、着こなしの難しい礼装なども難なく着こなすような、スッとした風貌の美青年である。穏やかで人好きのする雰囲気もあり、放っておいても人がすぐに寄ってくるが、意外にも彼自身は人付き合いが苦手だという。しゃべるのが得意ではないらしい。
 中途配属ということもあり、彼自身の複雑な身の上も悪影響してか、他の赤服とはお世辞にも円滑に、良好かつ順調に人間関係が築けているとはいえなかった。どちらかいうと、ハジかれている。邪魔者扱いだ。ミソっ子だ。やりづらいことこの上ないが、議長の配慮により、フェイスとして特別権限を与えられてまで復隊したのだ、堪え難きを耐えねばなるまい。
 それでも女の子たちは分け隔てなくアスランに優しくしてくれる。知らない土地に越してきたような心細さもそれで随分と和らいだものだ。アスラン・ザラの周りにはハーレムが自動生成されるなどと、男子たちからやっかまれようと、そんなものは彼の人生においてごく自然のことであり、当たり前の風景だったのだ。
 アスラン・ザラはモテる。それは、彼が生まれ持った才能で、女難の相に見舞われるのは宿命といえた。
 メイリン・ホークは特に良くしてくれ、ルナマリアの妹、シンの知人ということで色々と隊の運営について有益な話をしてくれる。シンがどれだけ厄介であるかを理解してもらえるというのは、アスランにとって大きかったのだ。愚痴っても悪い顔をしないでくれる。一般庶民的だが、今までアスランの前に現れ、愛想を振りまいたどの女の子とも違った。メイリンはかわいい。メイリンは聞き上手だ。メイリンは前にしゃしゃり出たりしない。メイリンは選択を迫ったりしない。
 命を賭すでもなく、共に戦場を駆けるでもなく、肩の力を抜いて向き合い、小さな笑顔を愛でているだけで、何となくしあわせ。恋の芽生えとまでは至らないが、そんな感じだった。
「ああいう気性の激しいというか、自己顕示欲の強い同僚もいるにはいたが…ああも敵意を剥き出しということはなかったし、ましてや命令違反で俺の鼻を明かしてやろうなどという子供じみた真似はしなかった」
「アスランさんって苦労人なんですね? 顔に似合わず…」
「そうでもないけど…そいつは今、月艦隊で艦長をしているし…」
「えっ。白ですかっ…すごーい。出世頭〜」
 わたしもいつか艦長になれるかなぁ、とごく小声で少女は将来の展望である野望をつぶやいていた。
 アスランは暴力が嫌いだ。力でねじ伏せ、力に訴え、物事を解決しようとするのを良しとしない質だ。だが、シンは何かといえばすぐ力でどうにかしようとする。着任して初めての作戦行動時、シンは命令違反を重ねた末、偶然発見した建設中の連合の基地を独断で壊滅させた。それら軍人としてあるまじき行為をアスランが咎めると、生意気に口答えした。道理の通らない自己中心的な論理だった。目を覚ませ、と軽く平手で打ったら、また口答え。もう一度返す手で頬を打った瞬間だった。
「バカにすんじゃねええええ!!」
 吠えたシンが拳を握りしめ、渾身の力で上官であるアスランの左頬を殴った。平手で打たれたことが、気に食わないらしかった。なめられたと取ったのだ。ぶちキレたシンは倒れたアスランの上に馬乗りになり、さらに暴力を加えようとしたが、それはその他大勢に阻止された。半狂乱になって暴れ叫びながら引き摺られるようにして、いずこかへ連行されて行った。帰投直後の、慌ただしく整備班が行き交うハンガーだったので、人数だけはいたのだ。
「隊長ぉ〜、軍人に制裁を加えるのに、平手打ちってのはないんじゃないですぅ? 相手が女のあたしや、麗しのバレルさんなら分かりますけど。シンですよ?」
 小馬鹿にするように、くねっと曲げた腰にヘルメットを下げた手を当てたルナマリアがアスランを見下ろして言った。
「ねぇ?」
 ぼう然と殴られた跡を手で覆うアスランの背後に向かって、ルナマリアが同意を求めた。背後の金髪の貴公子はちらりと上目で彼女を見はしたが、同意はしなかった。
「…大丈夫ですか。シンに対するときは、やり方に気をつけてくださいと忠告したでしょう。医務室で治療を受けた方がいいですね。歩けますか…歩けませんね」
 ため息混じりで言いながら、レイが感情抜きの事務的な態度で、腑抜けた上官を介抱し、肩を貸していた。
 アスランは言葉も出なかった。事態と事情を飲み込むのに、ちょっと時間がかかったくらいだ。あの歴戦の勇士がである。
 それ以来、アスランはシンを前にすると、やや気後れする。殴られた経験が尾を引いてか、シンの赤い瞳が、殺意に燃える炎にしか見えないのである。殺気づいた目に睨みつけられて体が竦まない方法があったら教えて欲しい。
 シン・アスカは規格外の異端児、いや、珍獣だ。そう理解した。出来る事ならば関わりたくない、得体の知れない奴だった。
「それで、ルナマリアまでがシンの様子を見てくると言って、訓練を途中放棄した。君の姉さんやレイ・ザ・バレルが、シンが正しくないと分かっていて擁護するのは何故だ。解せない、おかしいぞ」
 言葉そのままの、気難しい表情でアスランは唸った。彼の言い分は正しく、また声がどこまでも誠実で品があるため、誰も反論の余地なしといったところだったが。メイリンは少し考えると、
「シンを一人で立てるようにしたの、レイとお姉ちゃんたちですからね。今のシンに文句なんかつけたら罪作りですよ。アカデミーの頃なんか、もっと酷かったんですから」
 発言もずっとおかしかったし、と言った。
「今より…?」
「人の形をしてなかったんです、シン」
 軽やかな衣を裂く音がして、ホタテフライがメイリンの口の中へ慎ましやかに消えた。
 冗談なのか、なんなのか。確かめるのが恐ろしいというようなアスランを差し置いて、メイリンは話を進行させる。
「あ、聞いた話ですけど、昨日、シンがアスランさんのこと血眼になって探してたみたいですよ」
「何!」
 アスランは、右手のナイフを取り落としそうになった。歯が皿に当たって、若干の不協和音を奏でてしまう。
「ちょうど、二人でお茶してる時ぐらいかな?」
 メイリンはにっこりと笑った。
「アスランさんの部屋の前で暴れてるのを、警備の人に連行されたとか」
 メイリンのお陰で助かったようなもののアスランは、部屋にいなくて心底良かったと胸を撫で下ろしたのだった。
「どうせ…いいとこシミュレーターの対戦か、組み手に付き合えとか、そんなところだろう。レイに頼めばいいものを…なぜ俺に」
「それは、一つに、アスランさんのパイロットとしての腕を見込んでのことじゃないですか?」
「打ち負かせば文句を垂れ、花を持たしてやれば逆切れ…しまいには、バーチャルでできることをどうして実戦でしないのかと説教を始めるんだぞ」
 必滅と不殺。戦闘手段から命の重さの有る無しに関わるまでの、両者の根本的な考え方の違いだった。迷いの多いアスランは、シンに激しく口撃されても言い返せない場面が多かった。戦いに身を投じることの是非について、これといった答えを見つけられず、自身が暗中模索している状態だからである。
「俺の腕を認めてるとも思えんが…」
 まあまあ、とメイリンは表情に暗雲立ちこめ始めたアスランをなだめる。彼の不得手とするシンの話題を出しても、折角の夕飯が不味くなるだけだった。
「もう一つに、シンはレイの顔を殴れませんし。それに今、二人は痴話喧嘩を勃発させてますから、仲良く一緒に訓練はムリな話ですね」
 痴話喧嘩、という男女間の愛憎について用いられる用語に、アスランはきょとんとした顔をした。そして、素通りした。
「…ルナマリアが言うには、ディオキア滞在中から仲違いをしているらしいな。幼年学校のクラスかここは。やはりアカデミーの気分が抜け切れてないようだな」
 近くにいながら、側で様子を目にしながら、事情を正しく把握しきれていない隊長だ。痴情のもつれだとは露も知らずである。そのへんにどうも疎いらしい。
「原因はなんだ。知っているのか、君は」
「うーん。原因はいろいろですけど。今は、犬ですね」
「犬?!」
 食器をテーブルに置いたアスランは、絶句して頭を抱えた。
「そうです。わんこです。レイのところにカワイイ子犬がいるんでーす」
「なぜ犬が絡むんだ? ここは敵軍と交戦中の軍艦だぞ。意味がわからん、どうなってるんだ、おまえたちは!」
 また、かつて自分が籍を置いていた頃のザフトを思い返しているのだろう。大戦後、大幅な内部改変が行われ、体制の変わった現在とそれ以前を比較しても仕様がないだろうに。アスランの芝居がかった苦悩ぶりを眺めているのは、結構楽しいと思うメイリンである。
 苦悩が似合う青年なのだ。この、天の川のかかる宵闇のような深い色の髪をした英雄は。
「それより、ほら、このイカリングですけど。調理法に一工夫してあって、前もってイカをお酒で炒めて身を締まらせておくと、揚げた時の縮み方が抑えられて、衣が剥がれにくくなるんです。おいしいですよ」
 と年下のかわいいメイリンに、にこやかに下ごしらえについてレクチャーされては、それを確認してみたくなるじゃないか。アスランはイカリングをフォークで差すと、口へ運んだ。半分ほどを噛み切ったが、なるほど、衣がごっそり剥がれてイカとおさらばするような、悲しいことにはならない。
「うん、これはうまいな。調理師の知恵だな」
 アスランはミックスフライ定食を完食し、メイリンに勧められるまま、デザートのガトーココアもぺろりと食べ尽くしたのだった。

 ネコミミ少女の裁きの鉄拳で急所を打たれて昏倒し、医務室に担ぎ込まれた哀れな整備班の少年は、日付が変わる前に回復して、部屋へ戻ったのだった。
 あれは不幸な出来事だった。迷子になった子犬を捜索していただけなのに、痴漢扱いを受けた末、制裁を食らうとは。濡れ衣だ。あれ以上に不可抗力を再現した場面があるだろうか。痴漢は皆、そう弁明する? いや、そんな。コスプレに興味はないし、だいたい、ぱんつ見てない。一片も見てない。そこは強調しておきたい。しかし、思うように冤罪は認められず、成り行きのまま謝って事は収拾された。軍艦に彷徨う犬を探していたというのは、どうやっても分かってもらえないと踏んだのである。ヨッきゅんは事なかれ主義の、平穏無事を愛する人間だった。
 丸一日経過した今も顎のあたりがヒリヒリする。この傷心は、女王のパンチラを拝めれば癒される気がするが、生憎と、本日は姿を見かけることも叶わずに終わりそうだ。
 ところで、捜索対象の犬はまだ見つかっていないようだが、その件について新たな情報を得たのである。状況に進展がありそうだ。しかも、思わぬ方向に。
 ヨッきゅんは乗組員で賑わう夕飯時の大食堂に、お馴染の同僚の顔を二つ見つけると、長い手を振った。
「おーい」
 声を張っても周囲の邪魔にならないような、さわやかな通りの良い響きだった。声のみならず、ヨッきゅんは存在そのものがさわやかだ。さわやかが服を着て歩いているようなもので、それは作業着、制服を問わずだった。すっと鼻梁が通り、目もとが涼しげ、そのまとまりの良い紅顔から繰り出される笑顔は、やはりさわやかであり、相対する人間に警戒心というものを一切持たせない。彼に、「やあ!」と出合い頭にでも挨拶をされては、警戒心の塊のようなシンですらも、うっかり挨拶を返してしまうのである。
「あ、ヨッきゅんだ」
 ヴィーノが腰を浮かせて無邪気に手を振り返す。長テーブルにヨウランと肩を並べて座り、揃って日替わりメニューの「ミックスフライ定食」に手をつけていた。
「殴られ損のヨッきゅんだ」
 テーブルに並んだ定食を、おいしそーだねぇと品定めしていたヨッきゅんは、ヴィーノにからかわれても、軽く左の眉を上げただけだった。こなれた様子だ。
「そういう言い方すんなっつの。案外、殴られ損で終わったんでもないんじゃねーの」
 ヨウランから指導が入ったが、ヴィーノはどっちらけでエビフライにぱくついていた。
「医務室の彼女とは、首尾よく行ったのか?」
 普通、同程度の身長なのでそういう機会は少ないものの、ヨウランが突っ立ったままのヨッきゅんを見上げながら、含み笑いをして問う。
「うん。少し話が出来たし、メルアド交換した」
 ヨッきゅんがさわやかに破顔して、答えた。
「はー、清い仲だねぇ」
「君といっしょにしないで」
 これも、さわやかにヨウランの肩を叩いて、というか、高低差で突くような感じだったが、ヨッきゅんはやっとヴィーノの隣りに腰を落ち着けた。
「そのささやかなしやわせを潰されなきゃいいけどな、ミネルバの破壊王に」
 他人事のようにヴィーノが不穏当な発言をつぶやくと、ヨッきゅんは、は? と口の形だけを変えた。
「なんの話かな?」
「昨日、魔王に流れでこの話をしちゃったアル」
「ええ! アスカくんに…!」
 ヨッきゅんは、文字通り驚愕した。彼はシンに近い所にいるヴィーノやヨウランから聞こえてくる話より、アカデミーやミネルバにまことしやかに流れる噂や伝説の方を信じている、信じたいのだ。そして、新任の隊長がそうであるように、あんまりそこに混ざりたくないと思っているのだった。
「そんな、僕の弱みを握らせるようなことを、なんでわざわざしちゃってくれるわけ…!まずいよ、だって、最近やたら武器制御のアプリ書き換えを強要しようとするんだ…それからやっと逃げ回ってるってのにっ」
「それ、オレもだもーん」
「ヒドっ、僕を人柱にするなんて! 僕に違反行為に手を染めろと…」
 公序を守って人としての正義を貫くか、欲望のまま恋に突き進むのか。ヨッきゅんはあまりの同僚の仕打ちにうなだれ、テーブルに突っ伏した。
「ああ、気の毒に…」
 ヨウランがお悔やみを述べた。
「あれじゃん? 魔王の数々の試練とゆう罠を乗り越えてこそ、愛は深まるとかさ。ふっるいロープレにありそうな筋じゃね?」
 ヴィーノは決してヨッきゅんを慰めているのではない。おもしろがって言っているのだ。
「そんなロープレ見たことないし。だいいちラスボスの魔王がアスカくんじゃ、勝てっこないから、エンディングを迎えられないよ、永遠に」
 そりゃそーだ。ヨウランとヴィーノは感心したように、相づちを打った。そのどちらもが、シンは人の恋路を壊すようなことはしない、とフォローしないところが、ヨッきゅんを待ち構えるだろう悲哀と笑いを物語っていた。
「僕…昼間、すっごい噂をキャッチしたんだ」
 気を取り直して、ヨッきゅんは背筋を伸ばした。物事に執着しないので、復活は早いのだ。
「僕たち総出で探してる犬が、どうもレイ・ザ・バレルに拾われたらしいんだ」
 お上にバレる前に取り返しに行かなければならない、そうヨッきゅんは急いたように二人を突っついたのだが、
「らしいな。俺らもさっきそんな話を耳にして、どうしたもんかと」
「だったら、君たちがアスカくん経由で返してもらってきてよ」
 赤服の込み入った事情にタッチしたがらないヨッきゅんは、不思議そうな顔だ。ヨウランもあえて詳しい説明をするつもりはなさそうで、とにかく余計な手出しはしない方が無難だというようなことを言った。
「悠長だなぁ…早く引き取らないと、海に放り出されたりしない? 上に報告されたりなんかしたら、お咎めがさ…持ち込んだ人、首切りになったりしないかなぁ」
「まぁ、もちつけ、ヨッきゅん。赤信号なんかみんなで渡れば怖くねーんだホ」
「なにそれ」
「地球の古いコトワリだ。通れない道も大勢でかかれば通れるってやつ。悪事もみんなでやっちゃえばゴマかせるみたいなな!」
 などと、珍しく知性を披露したヴィーノだったが、誰も信用は置いていなかった。そして、そうなることを願うようにけたたましく口は回り続ける。
「あの噂、出回って何日か経ってるっぽいからな。今日中にゃ、艦内全体に行き渡ると見たね。ってことは、シンに知れるのも時間の問題だ。てか、もう聞いちゃってるかも?」
 そのとき、ヨウランが重いため息をはいた。
「最悪の展開だな」
「修羅場決行は今夜だなッ! 嵐がくるよ、嵐の夜だー」
「…俺ら、明日起きたら海の底ってことねーよな…?」
 はしゃぐヴィーノと、テンションを下げるヨウランの間で、ヨッきゅんが取り残されたようにぼやいた。
「意味わかんない」

 その通り、艦内にまん延した「レイ様ご乱心」の噂と、シンはその頃まさに遭遇しようとしていた。
 夕飯に食べた「ミックスフライ定食」はおいしかった。日替わりメニューには失敗がないのだが、自身の選択も間違っていなかった事にシンは満足げである。盛りつける係に、ちょっと頼んだらエビフライを二つにしてくれたし。仮にもミネルバの魔王を張るエースに、トレイを持ってお願いされては、断るものも断れないだろう。それがちょっとかわいらしかったりしたら、尚更ではないか。
 舌がもどかしく痛むのは、揚げたてのエビフライに食いついた際に、中に隠されていたたまごサラダが思いのほか熱く、やけどしてしまったせいだ。歯や上あごに着くたんびにうっとおしいわ、がっついたのが恥ずかしいわで、やるせない。そして痛むというより、疼くのは、胸のどこか奥のほう。じわり身を焼き、燃え広がりつつある青い火は、低温やけどを患わせたようだ。嫉妬のそれとは違って、シンの不意を突いて切なげに疼いては、無闇やたらと焦燥感を煽った。疼きを覚えれば、レイ恋しさが思い出され、追い詰められる。
 ルナマリアにその火を灯され、背を蹴られた形だが、部屋に帰ってレイの様子を見ようか、どうしようかなどと、うごうご艦内をうろつくシンの耳に、聞きなれた人名が入ったのだ。
 廊下とレストエリアを仕切る、目隠しを兼ねたパーテーションの向こうから、それは聞こえてきた。行き先に惑っていたシンの足が止まった。いつもなら庶民がたかって交わす噂話などに興味はない。ネタにされるのはどうせ、話題に事欠かないエースを筆頭に、赤服のことに決まっている。気にするだけマイナスであるということは、アカデミーで既に学習済みだったからだ。しかし、
「レイ・ザ・バレルが?」
「うん、ほんと、ほんと。廊下に転がってる犬に向かって『シン!』って叫んでたんだって」
「犬? 犬ってあの食肉目イヌ科の? なんで犬がミネルバに乗ってるワケ?」
「その上、なんでシン・アスカなんだ?」
「だから、レイ様ご乱心なんじゃないの」
 天敵の名を犬に付けて苛め抜こうとでも言うのだろうか。ストレス発散の一環として、犬をシン・アスカに見立て、「お手・お座り・三回まわってわん!」という芸をやらせたら、ある種の快感は得られそうである。動物虐待など逆襲の手段としても、歪んでいるとしか言えないが。いや、ザフトきっての貴公子がそんな下らない行為に走る筈がない。
 などと噂話に花を咲かす男女数人の乗組員は、各人がそれはそれは楽しそうだった。口々に、よくもまあ、そんなに出てくるものだと呆れるほど、コーディネイターとは噂が大好きな種である。
「レイ様がそんな、逆襲だなんて。もし、おやりになるとしたら、もっと壮大で苛烈極まる復讐劇をお仕立てになるわ」
「犬は、シン・アスカがレイ・ザ・バレルを暗殺するために黒魔術かなんかで召喚した、地獄の番犬なんじゃないか」
「地獄の番犬ケルベロス! きっと、魔王の手下だぜ」
「でも、レイ・ザ・バレルが拾ったのは、小さな子犬だったっていうわよ」
「それは仮の姿さ。正体は三頭の巨大犬なんだから。目的を果たす時には変身して、標的が油断してる背中から襲いかかるんだ。今ごろ、金髪の貴公子部屋で食い殺されてたりしてなー」
「最低」
「レイ様にあやまんなさいよ。低俗な妄想で汚して申し訳ございませんって」
 シンは、隠れるようにして背を廊下の壁面にへばりつけ、レストエリアを伺いつつ、聞き耳を立ていた。
 オレはついに召喚術を使えるまでに…
 噂上の『シン・アスカ』は捏造されながら、ぐんぐん育って行くんである。それは置いておくとして、部屋には今、自分ではなく、犬などがレイといるというではないか。
 なんですと! である。
 ケモノをオレの代わりにしてやがるのか。
 あの道楽トップブリーダーが!
 いつもと違うって、そういうことか。ルナマリアに一杯食わされたと知って、シンは乾いた笑みを浮かべた。そりゃ、違うだろうよ。レイは単純に犬が好きというだけでなく、特別な思い入れがあるのを、シンは知っていた。
 花や動物など、人間の都合通りにいかないものに愛を与えるのが好きなのだ、レイは。
 見返りがなくても構わないという精神は気に入らなかったが、そんなことに難癖をつける時期はとっくに通過した。
 どういうことか、この目で確かめなければならない、少なくとも部屋に戻る事情は出来た。シンの足は喜び勇んで、宛てがわれた本来の自室へ向かった。
「………」
 だが、懐かしい部屋の前まで来ながら、再びうごうごし始める。扉の右横に備え付けられたパネルの、バイオメトリクスセンサーに指をかざせば扉が開いて中に入れる。それだけのことが、できないでいる。
 入れないようにしてあったら、どうしよう…というのだ。
 セキュリティーには生体認証が使われている。本人確認を指紋で行うのだ。無論、登録されているのはシンとレイの指紋パターンであり、どちらかの指紋であると承認された時にのみ扉のロックが解除される。
 レイが、もう戻ってこなくて良い、という意思表示で、セキュリティー情報をシンの指紋では承認しないよう、設定ごと書き換えてしまっていたら、と考えて怖くなったのだ。
 それに、部屋に入れたとして、何て言えばいい?
 悪かった、とか。…オレ、悪くないのに?
 溜まってるから口でして! …そんな身も蓋もない言い方したら、殴られるだろうな。グーで。
 レイがほんとうに怒っていたら、いったいどう対処したらいい? 
 どうしていいのか、わからない。他人の気持ちの解し方なんて、知らない。
 もし、撥ね付けられたりなんかしたら、耐え切れるだろうか。このヒビだらけの心は。
「ええい! もう、どうにでもなれっ」
 考えることに飽きたシンは、ノープランで突入することで、腹を括った。
 彼の生涯でそれだけは有り得ないだろうが、自爆スイッチを作動させるような思いで、センサーへ緊張感に満ちた指を押し付けた。

(051207)



<つづく>


生意気に引っ張って終わってみる(w 
アスランは手を握るところから始めますよ。そんで、キスまでが遠いんだよ。だって、
へたれ紳士だから。18のくせに!!
16話の修正を別にSS としてやろうかなと思ってしまった。うーん。
ヴィーノの語尾の「ホ」があとの「コトワリ」にかかってる「メガテン」ネタだなんて誰にもわかんないですよね…ちなみにあれは「ことわざ」と言いたかったんですけどね。彼。
次回は対決で。



posted by 百武 晶 at 21:05| Comment(0) | TrackBack(0) | ミネルバ逃げ水 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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