2005年11月02日

ミネルバ逃げ水2-2「犬の名前」

 昼下がりの休憩時間、サロンにてホーク姉妹が揃って黄色い声を上げていた。
「きゃーきゃー、かーわいーいー!!」
 レイが真っ黒な子犬を抱いて現れたのだ。
 久方ぶりに見るあたたかな毛皮をまとった小さな哺乳類に、姉妹は飛びついた。
「ナマモノよ、ナマモノ!」
「かわいいッ、あ、おなかは真っ白だ」
 子犬の両脇を持ち上げて、メイリンが言った。
「へー、男の子なのね、おまえ」
 ルナマリアに肉球をぷにぷに揉みしだかれた子犬が、ちょろりと舌を口からはみ出させて、くすぐったそうにした。
 姉妹にどういじくられても、いやがらず、とても大人しく従順な犬だった。
「どうしたの、この子」
「昨日、廊下で拾った」
 姉とレイ、赤同士が会話している間に、緑のメイリンはそういえば、と制服のポケットを探っていた。薄く色づいた爪につまみ出されてきたのは、赤いサテンのリボンだった。
「あったあった。これ、キミにつけてあげるね」
 同僚の子にあげようと思っていて、数日忘れたままだったリボンを、子犬の首が絞まらないように気をつけながら、首輪がわりに結んでやった。
「似合うー。おめめとおそろい! 見てみて、レイ」
 メイリンはおめかしを完了した子犬を、レイに向き合わせた。
「あら、気が利くわね」
 ルナマリアが蝶々結びのリボンを指ではじくのを横目に、レイが犬の出来栄えを眺め、そしてメイリンを見て言った。
「ありがとう、メイリン」
 満面の笑顔でレイにお礼を言われることがあろうとは。勿体のうございます、王子。ちょっとした幸福にメイリンが言葉を失っていると、レイが子犬を呼び寄せた。
「おいで」
 その一声で、犬はメイリンの膝を離れ、レイのもとへ直行した。
「それで…一通りのしつけは済んだのだが、ちょっとした芸も覚えた。リボンのお礼に」
 子犬がレイの命令に合わせて、お手をし、おかわりをし、くるりと回って伏せをする。主人の声を聞き逃すまいと必死に耳を立てる姿が、けなげである。
「わーーっ、すっごーい!」
 最後は、レイの投げたごほうびを、空中でキャッチ。ぽてっと着地してから、レイの方をこれでいいかと言わんばかりに振り向いた。
 しぱしぱ尻尾を振って、レイを見上げるその仕草のかわいさと言ったら尋常ではなかった。
 ごほうびは、レイが食堂の調理場を借り、餌と一緒に作ったものだ。犬向けにカロリーや栄養バランスを考慮した、レイ自作のエサである。
 この際、なんで戦艦ミネルバに犬がいるのかとか。
 なんでその犬をレイがしつけ、芸まで仕込んでいるのかとか、そういう諸事情など、どうでも良かった。
 目の前の犬がかわいい。それでいいではないか。
 当のレイは、一晩で仕込んだ成果に、ご満悦。動物でウケるなら女子に限る、と目論んだかどうかは定かではないが、パチパチと拍手を送られて、満更でもなさそうだった。
「すっごーい…よくもまぁ、たった一晩でここまで言うこと聞かせられるもんね」
 ルナマリアが、チェアーの背もたれにひじをかけながら、ため息を吐いた。
 ひざまずいたレイのもとに、子犬が嬉々として走りよった。つぶらな赤い瞳を輝かせ、レイに頭をなでてもらうのを待ちわびている。
「こいつはとても賢い」
 レイが出し惜しみのない笑顔で、子犬の小さな頭を優しくなでる。
「ああ、言ってもきかない、どっかのバカと違ってね?」
 事件です。一度ならず二度までも。姉の向かいにテーブルを挟んで座ったメイリンが色めき立った。営業用の巧妙に作り上げられた微笑しか見せないレイが、掛け値なしで本物の笑顔を晒しているのである。
 携帯端末を取り出して、早速、激写。今日のブログにのっけるしかない。
 メイリンはレンズをそーっと、レイに向けた。
 犬と触れ合って、笑ってる笑ってる。にこやかに、隙だらけで笑ってる。
「おねぇ……レイが、おかしい」
 だって、無表情を貫く氷の王子が心底笑顔だし、勝手に撮影しても肖像権がどうとか小言めいたことを言ってこない。鋭い眼光さえ光らせない。
 いささか怖くなったメイリンは、姉に耳打ちしてみる。
「うん、おかしいわね」
 さすが、姉。女だてらに赤を着ているだけのことはある、まったく動じない。妹は、しっかり素材分は撮るだけ撮って、さっさと端末を仕舞うと、席に戻った。すすった紅茶はすっかりぬるくなっていた。
「トップブリーダーみたい。それなら軍人でダメになっても食べていけるわね」
 ルナマリアの声に、レイが肩越しで振り返って反論した。
「駄目になるわけがないだろう。この俺が。もっとも副業ならやっても構わないが」
「やるんじゃないのよ…」
 プラントに出回っている愛玩動物は、そのほとんどがクローンだ。この犬はどうなのだろう。地球にはオリジナルも数多く生息しているだろうから、そうなのかも知れないし、違うのかも知れない。
 赤い目は、遺伝子操作のたまものか。
 真っ赤なつぶらな瞳を見ていると、どうしても思い出すのがシンだ。
 レイが何かと言うとシンに調教、しつけという言葉を使うのは、つまり、こういうことなのかしら、とルナマリアは思うのである。
 シンからレイがどうも犬好きらしいんだ、と聞いたことはあったが…レイは、シンと犬を同列に置いているのではないのか? 
「毛並みキレイよね。かわいい、かわいい。で、名前は?」
 ルナが子犬を微笑ましく見下ろしながら、なんとなく言ってはみたものの、レイの返答に凍りつくことになる。
「シン」
 ホーク姉妹が1コンマもずれずに、同じタイミングでレイを見た。
「はあ!?」
 声がステレオになった。言い換えると姉妹ユニゾンだ。
「シンって! ややこしいじゃない、そんなの!」
「おかしいよ、レイ、ペットに同じ名前付けるのって変態くさいよ!」
 ステレオで抗議したので、どっちが何を言ったのかわからないというものだが、レイは聞き分けたらしく。
「…ならば、2号とでも呼ぶ。シン2号」
「2号って…そんな、愛人みたいに」
 ところが、子犬はレイが2号とつけて呼ぶと、それまで振っていた尾をぴたりと振らなくなった。
「見ろ、2号では不服らしいぞ」
「………」
「お姉ちゃんが愛人て言うからだよ……」
「やっぱりこいつはシンだ。シンが犬になって帰ってきたんだ、俺のもとに」
 シン(子犬)を抱き上げたレイは、立ち上がって姉妹を振り向くと、秀麗な顔に美麗な声で言い放った。雰囲気としては、出撃前にシンとルナに細かく指示を与えるのと同じなのだが、それが余計に空気をおかしくした。
「それ、シンじゃない。犬だよ、レイ」
 メイリンがかわいそうなものを見る目でレイを見上げていた。
「あんた、本気でいってんの? だったら、あたしが休憩前に見たあいつは誰なのかしらね。殺気だっちゃって、今にも破壊行動に走りそうな空気を出していたわ。あれ、ほとんど犯罪者の顔よね。ヒーローじゃないわ」
 ルナはとばっちりを食らうのがイヤで、シンを見掛けはしたが、話しかけないまま素通りしたのだった。
「……そういえば、そんなヤツもいたな。今となってはどうでもいいが」
 俺にはこいつがいるから、とレイは生真面目な顔で言った。
 そんな、冷酷無比な。
 じゃれあう美少年と犬という、幸せの象徴のような光景に、ルナマリアは未来の地獄絵図を見た。
 こんなにシンに興味を示さないレイを見たのはいつ以来かと記憶を探ったが、ない。そんな記憶はどこにもなかったのだ。
「おねぇ! この空気、どうすればいいの?! あのわんこはシンなの? ほんとにシンが犬になっちゃったとか…」
 対処に困窮した妹が、また姉に耳打ちした。そんな馬鹿げた話はと思いながらも、あのレイがマジメに言ってるのだし、とレイ贔屓補正が働いたようだ。
「なにいってんの、そんな超常現象起こるわけないでしょうが! 科学万能の時代に」
「シンとレイにかかったら、なんでもありそうなんだもん」
「ん、まあ、それはある程度正しいわ。組み合わせとしては最凶だしね。だから、さっきシンを見かけたって言ったでしょうが。アホな心配しなくても、シンは人間として存在しているのよ」
 レイはシンと同じくらいバカな一面を持っているのだと、そうでなければシンの傍で上手くやっていけるわけがない、ホーク姉妹はとりあえずそう結論づけた。
「けっきょく、本物の王子なんてどこにも存在しないってことよ」
 姉は、夢見る少女な妹に現実を突きつけた。
「えええー…いるもん。いるもん」
 すると、メイリンの端末が鳴った。コールはたった一回きりで、鳴り止んだ。ディスプレイを覗きもしないのに、メイリンがぽっと頬を赤くした。
「あ、わたしー、行かなくちゃ。お姉ちゃん、あとはよろしく」
 立ち上がると、椅子をテーブルへ直した。それを、姉がジト目で見やっていた。
「なに? 今の、誰?」
「やっぱり王子はお人よしで、フェミニストでなくっちゃね」
 そういい残し、メイリンはレイとシン2号に声をかけてから、サロンを急ぎ足で出て行った。
「どうしたんだ、メイリン? 呼び出しか」
「あの子は、あんたと犬より、今はもっぱらアスラン・ザラというわけよ」
 ため息をついたルナマリアは、呆れたように髪を掻きあげる。
 はあ、とレイは気のない風に、首を傾いでいた。
「犬は犬として…人間の方のシンはどうするの?」
 このまま放置しておくのは、それで十分まずいが、さらにレイが自分以外に愛情を注ぐ対象を得たとシンが知ったとなれば、展開として具合が最悪だ。
 シンの嫉妬が強烈なのは、ディオキアの件で誰もが目の当たりにしたばかりである。
「あんたに構ってもらえなくて、そろそろ限界が近いように見えるけど? イライラして、相当溜まってるわね、あれ」
「さあな。現実がどうあれ、知ったことか。俺はもう、ほとほと愛想が尽きた」
「えっ、ちょっと、レイ…?」
「俺も、もう戻る」
 あっさりと、踵を返したレイは、ルナマリアを置いて犬と一緒に行ってしまった。
「たとえシンに非があろうと、レイが常に折れて、うまく事が収まっていたわけでしょ? じゃあ、レイが折れない場合、事はどうなるわけ?」
 ぐだーーー、脱力したルナマリアは、椅子の背もたれに全体重を預けて伸びをした。
「破綻すんじゃね?」
 そこへ、ソフトタッチなボーイソプラノの返答があった。
 ルナマリアの天地逆さになった視界に、パロットグリーンの作業着を着たヴィーノの姿が映りこんでいた。
「姐さんってば、ヒトリゴト? お疲れ〜?」
「この、神出鬼没のちびっ子が…脅かさないでよ。ていうか、独り言を無断で聞かないでくれる?」
「オレ、そうゆうの聞いちゃうんだよねぇ」
「はぁ…今回は、調整つくのかしら…そもそも、あんたがシンに手を貸さなきゃ…」
「暴力にゃ勝てない」
「あんたらで取り成してよ」
「シンとレイを? いーじゃん、このままほっとけば。順当にいけばそろそろ修羅場でしょ、修羅場。ミネルバに血の雨が降るよ〜」
「沈むのよ、ミネルバが! …って、あんた、なにやってんの?」
 ヴィーノは、サロン内の調度品の下や隙間を覗き込んだりしながら、あちこち行ったりきたりしている。何かを探しているようだ。
「んーー、探し物」
「なにを?」
 ヴィーノはルナを振り返ると、声を潜めて言った。
「内緒なんだけどさ、オレらの仲間うちに、ディオキアで拾ってきた犬をさ、検疫ゴマかして艦内に持ち込んだやつがいたんだ。んで、ハンガーでこっそり飼ってたはいいんだけど、昨日、逃げちゃったんだってぇ」
「…どんな犬なの?」
「えとー、まっくろけの子犬だって。オスだっていってたぜ」
「そ、そう……」
「だから、偉い人に見つかる前に、メカニックで犬を発見して事なきを得るのだ! っつーお達しを受けて、オレもこうして探してるわけ」
「大変ね! 艦内はいっても、けっこう広いものね!」
「でしょー。姐さんもめっけたら、教えてねー」
 あいまいに返事をしたルナマリアは、その探し物の犬はレイのところにいます、とはどうしても言えなかったのだった。
 これ以上事態をややこしくしたら、本当にミネルバが沈むかも知れないんである…。


<つづく>
レイシンの裏でアスメイがなにげに進行している…
posted by 百武 晶 at 01:02| Comment(0) | TrackBack(0) | ミネルバ逃げ水 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。